わたしconが、どのようなことをきっかけに
外見に対して強くコンプレックスを感じるようになったのか、というお話です。
弟からの言葉
はじめは、小学一年生の頃に、弟から言われた一言。
「ねぇちゃん、顔がブタみたい!」
なんの悪気もなく、ただそう思ったからという無邪気さで放たれた一言。
母に怒られた弟は「なんで(怒るの)?だって似てるじゃん!」と追い打ち。
え?
わたし、ブタみたいな顔なの?
プリンセスやセーラームーンという“かわいい”に憧れて、
“かわいい=正義”という価値観で生きていた当時のわたしは
弟の言葉にしっかり傷つき、
ショックで何も言い返せず、ただ泣いたのを覚えています
同級生からのクレーム
そしてやはり小学一年生の時。
視力が悪かったのですが、この頃まだ目が悪いことが発覚しておらず、
裸眼のまま必死に目を細めて黒板を見ていました。
そんな時、前に出て発表をしていたクラスメイトが怒りの表情で
「先生!!conちゃんが睨んできます!!」
と大きな声で言ったのです。
(えっ?)
睨んでいるつもりなんてもちろんなくて、
それどころか、発表しているクラスメイトのことを
しっかりと見ようとしていただけなのに。
あまりに突然の、予想外のクレームに、
「えっ、いや、にらんでないです…」と
小さく弁明するのが精一杯。
周りのクラスメイトからの刺さるような視線。
(発表者の彼女はクラス一の美少女で人気者だったので余計に。)
その時の感覚を思い出すと、今でもズキッと心が痛みます。
その出来事をきっかけに、なぜか別の女子達からしばらくの間
暴言や靴隠しなどのいじめを受けました。
今考えると、小学一年生だというのに、恐ろしいことですね。
この経験から、わたしは過剰に自分の表情を気にするようになり、
人に不快に思われないようにしなければと
いわゆる「おとなしくて控えめ」なこどもになっていきました。
たった一言が深く刺さってしまうことがある
弟も、クラスメイトも、言葉でわたしを傷つけようとしたわけではありません。
弟は、発見したことを言っただけ。
クラスメイトは、わたしに睨まれていると勘違いして怒っただけ。
それでも、その一言が、ずっと忘れられない言葉になってしまった。
悲しいですが、こういった突然の言葉の矢からは
どうしても逃げられないものです。
運が悪かった、としか言いようがないと今は思っています。
でも、その矢を抜くことはできる。
傷つく前の状態には戻せないけれど、その傷を手当できるのは自分だけ。
(どのように手当をしてきたのか、そのことについても
今後の記事で書いていきたいです。)
古傷の痛みを感じるたびに、
「わたしはできるだけ、人を傷つけるような言葉を言わないようにしよう」と
心がけてきました。
小学一年生の苦い経験から26年経った今、夫は
「conちゃんは人のことを悪く言わない。そこが尊敬できて好き。」
と言ってくれています。
醜形恐怖症のきっかけになった出来事ではありますが、
今のわたしを作ってくれた大きなピースであることは間違いありません。
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